映画の邦題がダサいのはなぜなのか

昨日、こんな記事を見つけました。

「ダサい邦題」「タレントでPR」、熱心な映画ファンが”無視”される事情

https://www.sbbit.jp/article/cont1/35768#image58895

洋画の邦題のダサさに関しては前から思うことがありました。

「なんかこの映画のタイトルおかしいな。変な副題もついてるし。原題のままのほうが絶対良いのに」

映画館に直接文句を言ったことはありませんが、今まで観てきた映画でこんなふうに思ったことは何度もありますし、一緒に観た友人に愚痴をこぼしたこともあります。なんか、原題に込められた意味を完全に無視して、ただ「分かりやすさ」や「キャッチーさ」を求めまくった結果なのかなと思うと、納得いかなかったんですよね。

ダサさの理由は、なんとなく「興行する側の事情かなー」とか「原題だと分かりにくいタイトルだからかなー」とは思ってましたが、まあ理由はそんな感じ。

でも、邦題のダサさの理由を知ることで、今の映画業界を取り巻く現状についての認識を深めることができる記事でした。ひとりの映画ファンとして、この現状を知ることができたのは大きいです。

ざっくり記事をまとめます。

邦題がダサいのは”劇場”のせい

洋画の邦題を決めているのは、映画を上映している劇場、つまり映画館を運営している会社です。劇場が上映決定権を握っており、その劇場が分かりやすい邦題を望むから、映画を配給する会社は劇場がのぞむタイトルにせざるを得なくなってしまいます。

なぜ劇場が分かりやすいタイトルを望むのか。

それは、ひとりでも多くの人に映画を観てほしいからです。

タイトルが分かりにくいとお客さんが来ない

映画館に来るお客さんの大半は、映画のタイトルのことは気にしないでしょう。映画ファンの人は内容はもちろん監督や俳優、タイトルにこだわりがあるので、映画の顔であるタイトルがあまりにおかしいとそこに反感を持ちます(ぼくもたまに持ちます)。

でも、その映画ファンは単純にタイトルやCMを観て「おもしろそうだな」と思って来る人よりも圧倒的に少数です。映画ファンの満足度を意識してタイトルを決めても、分かりにくいタイトルだと公開前からお客さんをしぼることになってしまう。

だから、多くの人に映画を観てもらうために、タイトルに「分かりやすさ」をとにかく求める。映画もビジネスなので、自ら売上を減らすような真似はしたくないですもんね。

「分かりやすさ」を求めるもうひとつの理由

邦題に分かりやすさを求めるのは、多くの人に映画を観てもらうチャンスを広げるためですが、それ以外にも洋画より邦画のほうが1作品あたりの興行収入が高くなっているというのも背景にあります。

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(出典:一般社団法人日本映画製作者連盟)

グラフを見ると、2011年以降は邦画が洋画よりも1作品あたりの興行収入が多い状態が続いています。邦画の特徴として、タイトルを見ればどんな内容か大体分かるというのがあるので、邦画のほうが収入があると分かれば、「洋画のタイトルも分かりやすいものにしてくれ」という劇場の希望も分かりますね。

それにしても、洋画の興収の落ち込みようはなんなんだろ・・・ハリーポッターが終わってしまったからだろうか。完結作の「死の秘宝PART2」が公開されたのは2011年だし、それ以降有名な洋画のシリーズものって無くなりましたよね。「ファンタスティック・ビースト」に期待がかかりますねー!

ポジティブにとらえよう

これは、自分への戒めでもありますが、邦題のダサさに対してもっとポジティブに捉えようと思いました。興行側もダサいタイトルだとは理解もしてるでしょうし、タイトルが変わっても肝心の内容は変わるわけじゃない。

むしろ、「そういうタイトルのつけ方もあったか!」という視野の広がりを見せてくれることもあるので、新しい発見ができるというメリットと捉えるのも大事かなと思います。

タイトルはもちろん大事です。作品の顔ですから。タイトルに込められた想いも当然ありますし、そのタイトルでこそその作品は成り立つと言っても過言ではないと思います。分かりやすいタイトルにしたせいでその作品の魅力が無くなってしまったように感じることもありますが、逆に原題を調べて、観た内容と合わせて考える楽しみもあると言えます。

ぼくは、そんなふうに楽しんでいこうと思います!