私「先生、映画っていつ誕生したんですか?」  先生「それはね・・・」

「1895年と言われてます!!」

 

はい、今日は自分の勉強がてら映画の歴史を書こうと思います。私が生まれたとき映画はもう既に身近な存在であり、娯楽として世界中で楽しまれています。けれど、そもそも映画っていつからあるのかということは知らない人は多いのではないでしょうか。映画ブログをやってるのに映画の歴史も知らないなんて流石に恥ずかしいんで、しっかり勉強しようと思ったわけでございます。

この記事を読めば、映画についてちょこっと賢くなれるかも?

 

 

映画はフランスのリュミエール兄弟によって開発された

今から123年前の1895年に、フランスのリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフがパリの「グランカフェ」で一般有料公開されました。このときが映画の誕生した瞬間と言われています。パリで誕生したなんて、なんかおしゃれですね。

 

世界共通で映画をよくシネマといいますが、このシネマトグラフという機械が由来です。いい写真が見つからなかったのですが、イメージとしては金曜ロードショーのOPでおじさんが回してる映写機みたいなやつです。撮影と映写ができて、重さは5キロくらいで持ち運びができました。

(「シネマトゥデイ」HPより引用)

 

シネマトグラフの映写はスクリーン方式によってどこでも上映可能であり、同時に複数の観客が観ることができました。当時は世界各地で評判を呼んだようです。なぜなら、歴史上初めて一般の人々が自分の動く姿を客観的に見ることができたから。今でこそスマフォやデジカメで簡単に動画を撮って自分を見れますが、当時はそんなものはありません。さぞ驚いたことでしょう。

 

リュミエール兄弟よりエジソンが先に映画を発明していた?

冒頭で1895年に映画は発明されたと書きましたが、実はあの「発明王エジソンの方が早く発明していたという話もあります。どういうことでしょうか。

 

エジソンは1891年にキネトグラフという撮影機とキネトスコープという映写機として特許を取っています。さらにパーフォレーション(フィルムの縁に一定間隔で開いている細長い送り穴)の付いたフィルムも考案しています。

キネトグラフで撮影したものをキネトスコープで映すというわけですね。リュミエール兄弟のシネマトグラフは撮影と映写兼用なので、エジソンのは別々だったわけです。

このキネトグラフとキネトスコープは大型で重量があり、持ち運びは不可能だった。そのため、撮影はキネトグラフを設置したブラック・マライアと呼ばれる部屋型の撮影所で行なわれ、カメラの前に当時の著名な踊り手や芸人を招き、またボクシング試合などよく知られた題材を再現する形で撮影された。(2003、村山、p32)

 

 エジソンの開発したキネトグラフとキネトスコープはでかくて重くて使い勝手がよくなかったみたいですね。映写はキネトスコープ・パーラーという複数の装置を並べた場所で行われていました。キネトスコープはシネマトグラフと違い、スクリーンに映す方式ではなく覗き穴方式だったそうで、1台の装置につき1人しか見ることができなかったそうです。

キネトスコープはアメリカ国内をはじめロンドンやパリで興行されたが、スクリーン方式に比べると効率は悪かった。そのため、リュミエール兄弟のシネマトグラフが発明されると、エジソンはすぐにヴァイタスコープというスクリーン方式の映写機に方向転換した。(2003、村山、p32)

 確かに、ひとりずつ装置を覗いて観るものを映画と呼べるかは微妙なところですね。でも技術としては撮影して、それを映していることから映画に限りなく近いでしょう。

現在のように、スクリーンひとつで複数の人が同時に観れるという方式が始まったのが1895年ということなら、リュミエール兄弟の発明から始まったといえるでしょうね。そしてリュミエール兄弟のシネマトグラフの方が、軽くて持ち運びもできるし、撮影も映写もできるし、スクリーンに映してどこでも複数人が見ることができるということから、エジソンのものよりずっと優れていた。だから、映画の歴史は1895年から始まったと言われているのです。なるほど~

 

 

日本での映画の始まりとか、無声から有声になったのはいつからとか、いろいろ書きたいことがあるのですが、徐々に追記していきます!